今日もランクル日和

40代からはじめる素敵なランクル生活

現金と電子マネー

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昨日、私はアナログ人間である。と書いた。

しかし、よくよく考えてみると多くのことがデジタルに置き換わっている。ネットショップでモノを買うことが増え、支払いもクレジットカードかネットバンキングだ。海外通販はPayPal(ペイパル)を使っている。

日本は現金主義だと言われる。偽札が少なく、現金取引システムに特化している。どこにでもATMが設置してあり、24時間いつでも現金を引き出すことが可能だ。

小さな商店などは、現金しか使えないところが多い。個人同士の金銭授受は現金だろう。冠婚葬祭で使うお金が電子マネーなんて聞いたことがない。

私達はお札や小銭の手触りを記憶している。親からお金は大事に使わないとダメだよと言われ、財布に現金を入れてくれた。子供は落としたり無駄使いなどの失敗しながらお金の大切さや算数を学ぶのだ。五感でお金を確認できるのは現金だけである。


今は、銀行に行くこともなくPCやスマホで残高照会したり出入金することができる。現金に触ることなく数字の増減を確認するだけだ。

アナログな現金が必ずしも良いとは思わない。ネットでモノを購入しても代引きを使って現金決済することはない。手数料と運送業者の手間がかかるだけだ。わざわざ現金という物体に変換することにお金を使っても仕方ない。

昨年、QUICPay(クイックペイ)に申し込んで、スピードパスプラスをつくった。これでクルマに給油するときに現金が不要になるのだ。昔からクレジットカード決済はできたけど、結局財布から取り出して使うから手間は現金と大差ない。あの自動現金支払い機にお金を投入する作業から開放されるのである。

よく現金支払いはコミュニケーションと言われるけど、もはやそんな場面はほとんどない。ガソリンスタンドはセルフばかりで、店員と話すことなんてトラブルがあったときか特典をもらうときだけだ。やる気のない態度の悪いコンビニ店員に現金で支払うのはいい気持ちがしない。サービスの対価を支払ってないので期待もしてないけど。いずれコンビニはガソリンスタンドのようにセルフ化され、レジ打ち店員は不要になるのだろう。

それでもアナログな感触は必要だと思ってしまう。オジサンにありがちな懐古主義なのだろう。お金の外観が変わるだけなのだ。そもそもお金なんて概念に過ぎない。質量のある物体である必要はない。

そのうち日本でも現金がなくなり、現金を使ったやりとりも形骸化するのだろう。そう言えば、今の1000円札の肖像って誰だっけ。夏目漱石かな・・・ははは。お金の認識なんてこんなもんだ。